街森研究所

街や森で出会った木々や生き物、出来事などを紹介しています

[街]東京・秦野『葉っぱスキャンワールド』展のレポート

 2011年の11月29日から1週間、3回目の個展となる展覧会『葉っぱスキャンワールド』を東京・四ッ谷で開催しました。会場は、後援をいただいた日本森林技術協会オフィスビルの1Fロビー。展示用のスペースではありませんが、新しくてきれいな建物で、明るいガラス張りの壁に木の床や天井が美しい空間だったので、それらを最大限に活かした会場演出を心掛けました。

 今回は植物スキャン画像の作品約30点に加えて、スキャン画像をプリントしたTシャツやポストカードの展示・販売も行い、昨夏の広島会場とはまたひと味違った雰囲気。会場のレイアウトや演出もうまく仕上がり、曇天の肌寒い時期に開場を迎えました。初めての東京開催ということもあり、業界関係者や会場近隣の方々、知人友人など、計400人近い方々にご来場いただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

 東京会場で特に評判がよかった作品が、ポスターにも使った「紅葉グラデーション」や、上写真の右奥に写っている「落ち葉の絵地図」。後者は、アカガシの落ち葉の裏に菌類が大小多数のコロニーを作り、まるで古い地図のようなアートを描いています。間接照明や背景の打ちっ放しコンクリート壁もマッチしていたようです。

 こごみ(クサソテツ)、ベニドウダンやカワヅザクラの花、ハゼノキの紅葉などをデザインに用いたオリジナルTシャツもまずまずの評判で、特に女性の反応がよかったように思います。まだ試作段階なので印刷精度や価格面で課題もありますが、今後商品が揃い次第、ネット販売も行おうと思っているので、関心のある方は「happa64」(はっぱろくじゅうよん)サイトで詳細をご覧ください。

 12月5日、東京会場の展覧会が終わると、すぐに撤収してレンタカー・ボンゴに資材を詰め込み、神奈川県秦野市「ぎゃらりーぜん」に移動。翌日に会場設営(上写真)を行い、12月7日〜12日まで神奈川会場の『葉っぱスキャンワールド』展を開催しました。このギャラリーは、私が秦野市に住んでいた08年に初めて展覧会を開いた場所で、とてもお世話になっています。

 こちらの会場は、東京会場とは打って変わって白い壁と床に囲まれた空間。照明もそろっており、展示の自由度は高いのですが、その分、何をどう配置するかは余計に悩まされます。春、夏、秋、冬と、季節が移り変わっていくように配列し、Tシャツを天井からつるすことで、東京会場とはまた違った会場を演出することができました。

 今回の両会場でいい味を出してくれたのが、小田原市森林ボランティアグループ「森のなかま」からお借りしたヒノキ間伐材の木工品です。小物掛けや磨き丸太などのウッディな質感がスキャン作品とマッチして、とてもいい雰囲気を醸し出してくれました。感謝です。この小物掛け「てっぺん木」は、量産家具にはないオシャレさがあり、間伐材のよい有効利用例になると思います。(木工品作者のブログでも展示の様子を紹介していただきました)

 秦野会場では、初めの2日間しか会場に顔を出すことができませんでしたが、以前お世話になった方々にも多数お越しいただき、大変嬉しく思っています。今回の展示会で展示販売した葉っぱスキャン画像のTシャツやポストカード(現在8種類)は、準備が整い次第、webサイト「happa64」でも販売しますので、興味のある方はどうぞご覧ください。

林将之・個展「葉っぱスキャンワールド」開催のご案内

 この度、3回目となる個展を下記要領にて開催することになったので、ご案内致します。私がこれまで集めてきた葉っぱスキャン画像の中から、よりすぐったアート作品約30展を拡大出力して展示予定です。東京会場の全日、神奈川会場の初日は私も会場におります。どうぞお気軽にお越し下さい。印刷用のチラシ(PDFファイル)はこちらをクリックして下さい。なお、過去の展覧会の様子は本ブログでも紹介しています→1回目(08年冬・神奈川)、2回目(11年初夏・広島)

(以下、転載歓迎です)
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林将之「葉っぱスキャンワールド」展
〜立体スキャン画像が魅せる自然のデザイン〜


【東京会場】
[日時]2011年11月29日(火)〜12月5日(月)
    9:00〜17:30 ※最終日16:30終了。3日(土)休館。
[場所]日林協会館 1Fロビー(四ッ谷)
    〒102-0085 東京都千代田区六番町7 tel.03-3261-5281
[協賛](一社)日本森林技術協会
[アクセス]JR四ッ谷駅麹町口より徒歩5分。市ヶ谷駅より徒歩10分。地下鉄麹町駅より徒歩7分


【神奈川会場】
[日時]2011年12月7日(水)〜12日(月)
    10:00〜18:00 ※最終日17:00終了。
[場所]ぎゃらりーぜん(秦野)
    〒257-0017 神奈川県秦野市立野台1-2-5 十全堂ビル2F tel.0463-83-4031
[アクセス]小田急線秦野駅南口より徒歩15分。または「日赤病院前」バス停下車。


<内容>さまざまな植物のスキャン画像30点前後を展示。美しい自然のデザインに、ユニークな生態解説をつけて紹介。 植物をスキャナで直接取り込む独自の撮影法は、立体感のある生々しい質感が得られることが特徴です。まるで森の国に迷い込んだような、不思議な世界をご堪能下さい。入場無料。サイン本・ポストカード・Tシャツ販売あり。※詳細はウェブサイト(http://happa64.com/)参照。

<作者滞在予定日>東京会場=全日(29・30・1・2・4・5日)、神奈川会場=初日(7日)

<作者プロフィール>
林 将之(はやし まさゆき)樹木図鑑作家・フリーライター・編集デザイナー。1976年山口県生まれ。千葉大学園芸学部卒業。造園設計を勉強中に木に興味を持ち、葉で木を見分ける方法を独学。葉をスキャナで取り込む撮影法を確立し、画期的な樹木図鑑を次々制作。著書に『葉で見わける樹木 増補改訂版』『樹皮ハンドブック』『紅葉ハンドブック』『身近な樹木図鑑』『葉っぱで気になる木がわかる』など多数。樹木鑑定サイト「このきなんのき」運営。

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私は潰瘍性大腸炎

 4年前に青森を旅した時、旅館に着くや否やトイレに駆け込んだ。昼食の貝が当たったのか? 帰宅後も下痢は断続的に続き、お腹はギュルギュル鳴り続け、ひどい日は10回以上もトイレに駆け込んだ。やがて、排便時にドロッとした半透明の粘液が出るようになり、血も混じり始めた。食中毒に痔を併発したのか?
 10ヶ月後、お酒を飲んだ翌日に高熱が出て、ようやく病院に行った。内視鏡検査の結果は、潰瘍(かいよう)性大腸炎。若者を中心に急増中の難病で、原因は不明だがストレスや食の欧米化が一因ともいわれ、悪化すると大腸ガンを招く。看護士さんに「一生付き合う病気ですよ」と言われ、目の前が暗くなった。
 以降私は、野菜と魚中心で低脂肪の食生活を心掛けている。考えてみれば、幼少期から胃腸が弱く、牛乳や油物でお腹を下すのは日常茶飯事だったが、それでも「好きだから」と、肉料理やジャンクフード、洋菓子などを食べ続けたのがたたったのだろう。
 最近は、食生活だけでは症状が改善しないことに気づき、パソコン漬けの過労を避け、早寝早起きを心掛けると、調子はよくなった。身の回りで獲れる自然な食物を食べ、太陽のリズムで暮らす。私は病気になることで、自然と共に生きることの大切さに気づかされ、むしろ健康になった気さえしている。


※この文章は2011年7-8月に山口新聞「東流西流」に掲載された連載記事を一部修正したものです。

原発タブーの崩壊

 福島原発の事故以来、日本の報道が大きく変わったことがある。「原発タブー」の崩壊だ。
 2年前、私が取材していた上関原発問題を、ある週刊誌の編集部に持ち込んだ時の話。若い担当編集者は「ぜひ記事にしましょう!」と意気込んでくれたが、数日後、「ボツになりました。上司から出版社全体の広告主に悪影響があると言われました」と力なく電話してきた。これが事故前の現実で、全国規模のテレビや新聞、雑誌ほど、原発に批判的な報道はタブーだった。日本最大級の企業である電力会社(と原発関連産業)は、マスコミ最大のスポンサーでもあるからだ。
 一方で国は、原発を推進する活動には莫大な予算をつけ、批判する動きは厳しく監視してきた。「原発は絶対安全」「原発は環境にいい」と、広報や教育にも力を注ぎ、世論さえ操作しようとしてきた。しかし、その原発は爆発し、国は放射能汚染の実態を隠し続け、マスコミも原発を懐疑的に報道せざるを得なくなった。
 「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」とは、歴史学者アクトンの名言だ。残念ながら、現代の先進国家や巨大マスコミも例外ではない。インターネットは多くの真実が得られるメディアだが、全くのウソもある。今後の放射線被害を最小限にするためにも、私たちの情報を選ぶ力が問われている。



事故前の福島第一原発(2009年8月 筆者撮影)

※この文章は2011年7-8月に山口新聞「東流西流」に掲載された連載記事を一部修正したものです。

原発と私

 拙宅は、山口県の上関原子力発電所予定地から13kmの距離にある。窓からは、美しい上関町の島々が見渡せる。福島原発でいえば、強制避難区域の円の中だ。
 私が5歳の時、上関原発計画は浮上した。子どもながら直感的に不安を感じていたが、大学進学で関東に移り住んでからは、原発のニュースは全く耳に入らなくなった。30歳になり、山口県へのUターンを考え始めた08年、ふと思い出した。「上関はどうなった? 原発ができるならUターンしたくない」
 実際に予定地を訪れると、既に準備工事が進んでいた。原発問題の歴史を綴った本(※1※2)を読み、衝撃が走った。大都会の電力を賄うために、地方に深刻な問題が負わされている。この問題を学び、伝えねば。私は一ジャーナリストとしてこの思いを記事に書き、あるアウトドア雑誌の読者投票では1位にも選ばれた。全国の原発を取材して回り、その実態を各地で講演もした。けれども、難解な原発のリスクを広く伝えるのは難しく、様々な利害も絡む原発問題に、私は神経をすり減らした。
 原発取材から身を引いていた3月11日、福島原発事故は起き、リスクは現実となった。3カ月後、私は出張で東京を訪れたのだが、久しぶりに連絡を取った関東の知人には「上関原発が止まってよかったですね」と、ことごとく逆に励まされた。今まで原発問題にほとんど関心のなかった彼らの言葉に、私は驚いた。日本は変わっている。



平生風力発電所より原発計画のある上関町長島方面を眺める。

※この文章は2011年7-8月に山口新聞「東流西流」に掲載された連載記事を一部修正したものです。

クマは絶滅するのか

 薄暗い山奥の森を歩くのは、あるリスクが伴う。クマ(ツキノワグマ)との遭遇だ。彼らが人を攻撃するのは、彼らも人を恐れている時で、本来は人を襲う動物ではない。鈴やラジオをつけ常に音を発することで、クマの方から遭遇を避けてくれる。
 生態系の頂点に立つクマは、他の獣に比べ個体数はずっと少ない。生き物好きの私からすれば、出会えるとむしろラッキーだ。私は過去に2度、野生のクマに遭遇しているが、いずれも安全な距離があった(写真=尾瀬ヶ原で筆者撮影)。怖いのは至近距離での遭遇。クマから視線をそらさず、ゆっくり後ずさりすることが大切で、決して背中を見せ走ってはいけないといわれる。
 そのツキノワグマが絶滅の危機にある。日本には1万2千頭が棲むともいわれるが、近年は人里での出没が増え、06年に4千頭余り、10年にも3千頭が殺処分された。既に絶滅したとされる九州、残り数十頭といわれる四国に続き、このままでは本州での地域的な絶滅も近い。農林業が廃れ、人が山に入らなくなったことで、クマやイノシシが頻繁に人里に下りるようになったといわれる。
 かつて日本人は、家畜の害獣オオカミを駆除し続け絶滅させたが、その後シカが増え、シカが畑の作物や貴重植物まで食べ荒らすようになった。クマ問題もダム問題も原発問題も同じ。目の前のリスクを取り除く対処療法だけでは、問題は解決しない。



※この文章は2011年7-8月に山口新聞「東流西流」に掲載された連載記事を一部修正したものです。

木材自給率26%

 日本の食料自給率40%、エネルギー自給率4%が危惧されているが、木材自給率を知る人は少ない。26%を高いとみるか、低いとみるか。
 本、書類、新聞、ティッシ、木のテーブル、合板の本棚、木造住宅……私たちは木や紙の製品を大量に使っているのに、野山を見渡しても、伐採された林が少ないことを「おかしい」と思う必要がある。日本は国土の68%を森林に覆われ、世界平均の30%をはるかに上回る森の国だ。なのに、木材輸入量はアメリカ、中国に次いで3位の輸入大国。自国の林が青々としているのは喜ばしいことだが、見えない海外では、今でも北海道に近い面積の森林が毎年減少し続け、温暖化の一因にもなっている。途上国では不法伐採、すなわち自然林の違法な伐採や、植林を伴わない無計画な伐採が横行し、その木材を我が日本も無差別に買い上げているのが現実だ。
 一方、国内のスギ・ヒノキ林は使われぬまま放棄され、生物多様性の低下や、保水力の低下が深刻化している。自国の木が使われない理由は簡単、海外の木のほうが安いからだ。ただし、輸入材でも「FSC」などの森林認証マークがついていれば、不法伐採材ではないことが保証される。あらゆる物事を市場原理に委ねるのではなく、社会全体を見据えて、皆でルールを考え直す時代に来ている。


※この文章は2011年7-8月に山口新聞「東流西流」に掲載された連載記事を一部修正したものです。