街森研究所

街や森で出会った木々や生き物、出来事などを紹介しています

2016年葉っぱカレンダーつくりました


久しぶりのブログ更新です。

この度、葉っぱスキャン画像を用いたカレンダーを初めて作りました。縦32cm、横18cmとコンパクトな壁掛け月めくりカレンダーで、白地にきれいなスキャン画像を配したシンプルなデザインになっています。リビングの白い壁や、玄関、トイレ、PCデスクの周りなど、ちょっとしたスペースにいかがでしょうか。

これまでの個展「葉っぱスキャンワールド」や、ポストカードでも人気だった冬芽、どんぐり、コゴミなどのアート作品も登場します。各月ごとに小さな解説文をつけているので、植物の名前や特性、倍率などもわかるようになっています。

今まで私が制作してきた物といえば、図鑑テイストの実用書ばかりだったので、今回のようなビジュアル重視の作品が市販されることになったのは、個人的にとても画期的で嬉しいことです。



発行元は、近著『樹木の葉』でもお世話になった山と渓谷社で、1部800円(税込864円)です。下記のAmazonをはじめ、全国のカレンダー取扱書店などで購入できます。5部以上まとめてご購入いただける方は、著者までご連絡(konokiアットマークgreen.email.ne.jp)いただければ、1部700円・送料無料にてお送りいたします(^^)



映画「標的の村」から見る沖縄県民と米軍基地問題

 映画『標的の村』の無料上映会に行ってきた。沖縄本島北部・東村の高江に建設中の米軍基地ヘリパッドや、戦闘機オスプレイの配備に反対する住民たちを記録したドキュメンタリー映画だ。

 痛い。胸が痛い。懸命に座り込んで反対するも、日本の警察によって強制排除されるシーンに、涙ぐむこと2回。会場にすすり泣く声が響いた。子どもも巻き込まれているから、なおさら痛い。

 僕は山口県上関原発計画の反対運動に関わっていたので、高江の状況はある程度知っていたし、現場の雰囲気はまさに上関と同じだった。知らなかったのは、宜野湾市(本島中部)の街中にある米軍普天間基地オスプレイが配備される時に、住民がマイカーを使って普天間基地の全ゲートを封鎖したことと、こうした活動に、今回の県知事選に立候補中の翁長雄志(おなが たけし・当時は那覇市長)氏が応援に駆けつけていたことだ。

 翁長氏が知事になれば、高江のヘリパッドや、普天間基地の名護市(本島北部)辺野古沖への移設計画は、一旦止まる可能性が高いと思われるが、その翁長氏が前回の知事選で応援し、普天間基地の県外移設を公約に当選した現職の仲井眞弘多(なかいま ひろかず)知事は、あっさりと公約を覆し、普天間基地の県内(辺野古)移設を承認してしまった。加えて、日本国の代表は「誰が知事になろうとも辺野古の埋立工事は進める」などと言っている。

 今年3月に沖縄移住したばかりの僕は、平和祈念資料館などに行って初めて沖縄の歴史を知った。70年前の沖縄戦は、日本において一般市民を戦闘に巻き込んだ唯一の戦争といわれる。沖縄県民は本土の犠牲となり、無謀にも米軍に立ち向かい、大勢が自決した。今でも当時の不発弾処理が毎週のように行われ、島中あちこちに戦跡が残っているのがその証である。

 当時の痛みが今も受け継がれているなら、たとえオスプレイが安全で、米兵が何も問題を起こさなかったとしても、戦争のための兵器や殺人のための軍隊を沖縄に置くことは、とうてい受け入れられないはずだろう。それとも、沖縄人の楽観的な気質や、見返りによる経済振興が、基地をも受け入れ続けるのだろうか。


高江のヘリパッドに着陸するオスプレイ(2014年3月筆者撮影)

沖縄カルチャーショック;街と交通編


 さて、沖縄に引っ越して5ヶ月が経とうとしている。沖縄のことは、今まで旅行や居候、本などである程度知っているつもりだったけど、やっぱり住んでみて初めて知った沖縄(本島)ならではの特徴、カルチャーショックがいろいろある。馴染んでしまう前にメモしておこう。第1弾は街と交通編。(写真は那覇市国際通り歩行者天国

  • 沖縄は都会で、中規模店が多い

 改めて沖縄本島を車で走り回ってみると、本島の南半分、すなわち那覇市糸満市から北谷町うるま市あたりまで、ずっと市街地(+基地)が繋がっている。そんでもって、サンエー、イオン、その他の中規模複合ショッピングセンターが多いこと! 広島市近郊より多いと感じる。人口に比べて店が多すぎるのでは?という気もするけど、我が故郷の山口県と比べると、沖縄県は面積が約3分の1なのに、人口はほぼ同じ142万人(正確には今年沖縄県山口県を上回った)だから、ずっと都会なのは納得である。

  • 道路が立派で、常時左折可の交差点が多い

 モノレール以外に鉄道が走っていない沖縄県。車社会で本島は渋滞が多い、と聞いていたが、それ以上に道路が広く(片側2車線以上の道路が多い)、しかも次々新しい道路ができている。那覇市内や中南部の主要道は、確かに朝夕に渋滞するけど、ざらに1時間以上も足止めを食らう本土の渋滞に比べると大したことはない。常時左折可の交差点が非常に多いことも、渋滞が軽い理由の一つではないだろうか。これはアメリカの交通ルール(赤信号でも常時右折可)に似ており、非常に効率的なので、本土でも見習ってほしいものだ。

  • 割り込む車が多いが、クラクションは鳴らさない

 沖縄の人はゆっくり車を運転する、とよく言われるけど、今の本島ではそう感じない。確かにゆっくり運転する人はいるけど、一般道なら時速80km、高速道路なら時速120kmで走る車(レンタカーではない)も多く、内地と変わらない。沖縄社会もセカセカしてきたのだろうか。一方で、ちょっと隙間があると、右折や左折で割り込んでくる車が多いと感じる。譲り合いが当たり前の価値観があるのかもしれない。その証拠に、クラクションを鳴らす人が本土に比べてとても少ない。郷には入れば郷に従えで、僕もまだ一度もクラクションを鳴らしていない。

  • へこんだまま走っている車が多い

 沖縄の車をよく見ると、バンパーやボディがへんこだり傷ついたまま走っている車が多い。これを価値観の問題ととらえるか、低所得の問題ととらえるかは検討の余地があるけど、個人的にはちょっとの傷で何万円も払って修理するのはバカバカしいので、この文化には賛成である。むしろアメリカや海外ではこれが普通と思われ、何でもピカピカにしたがる日本人が“潔癖症”なのでは? そんな僕の車も、2ヶ月前にバックで電柱にぶつけてへこんだままである。

  • 米兵はなぜかスポーツカーやオフロードカー

 街中でブォーンとすごいエンジン音で飛ばす車を見たら、Yナンバー、すなわち米兵であることが多い(地元の若者も結構乗ってるけど)。シルビア、スプリンター、サバンナといった懐かしいスポーツカーもよく見るし、デリカやランドクルーザーなどのオフロードカーも多い。車もやはり、戦闘機や戦車感覚で乗るのだろうか。一方で、観光地化されていない海岸や渓流に行くと、オフロードカーで遊びに来ている米兵家族によく出くわす。これは山口県岩国基地周辺でも同じで、彼らは身も心もワイルドで、日本人より自然の遊び方をよく知っている。

沖縄に引っ越しました

 2014年2月28日午後3時、僕たち一家は鹿児島港に到着した。8人乗りの愛車の中は、パソコン一式、布団、1週間分の衣類、米、それに妻と2歳の息子で満載状態。ここから、本土と沖縄を結ぶ唯一のカーフェリーであるマルエーフェリーに乗り、24時間の船旅を楽しむ。出港は18時だが、積載作業のため3時間前から港で待たねばならない。車のすぐ横では、何台ものフォークリフトが大きなコンテナを持ち上げ、次々と船に積み込んでゆく。離島で暮らす人々の元へ運ばれる、たくさんの食料、荷物、そして思い。この巨大な船が向かう先に、子どもの頃から夢見た南の島の暮らしが待っている。

 山口県の海のそばで育ち、海や魚が好きで、漠然と南の島に憧れていた。中学2年の夏、家族旅行で奄美大島を訪れて感動し、新婚旅行は南の島に来たいと思った(実際はハワイ)。二十歳の時、沖縄・伊江島にある友人のおばぁの家に一ヶ月間居候させてもらった。素潜りや魚釣り、サトウキビ畑の手伝いなどをしながら、沖縄の生活文化と温かい人柄、ちょっぴり寂しさを体感した。大学卒業後に沖縄でフリーター生活をする計画を立てたが、結局は断念。友人には「お前いつ沖縄行くんだよ?」と笑われたものだ。それ以来、何度か旅行で南西諸島に訪れたものの、移住はいつしか消えかけた夢になっていた。

 35歳で結婚したのを機に、流れが変わった。妻は那覇で約1年暮らした経験があり、南国好きで移住願望が強いので、いつか沖縄移住できればいいねと盛り上がる。となると、その年に生まれた息子が小学校に上がるまでが引越の最適期。移住の決断は勇気がいるけど、悩んでる暇はない。廿日市の不動産屋から教わった九星気学でも、南西の方角に引っ越すには2014年が最高の年と分かっていた。だから、沖縄での仕事に多少の目処がつくと、なるようになれで決断。僕は平穏で安泰な人生より、変化に富んだドキドキ・ワクワクの人生を選ぶ。

 引っ越し先は、利便性がよく、自然も都会も楽しめる沖縄本島の中部がベスト。工場や基地の影響が多い東海岸より、綺麗なビーチが多い西海岸がいい。そのエリアで認可保育園にすぐ入れそうなのは読谷村のみだった。ということで、もともとイメージのよかった読谷村に決定。引っ越し日は、仕事や保育園入園手続きの関係で2/27に決定。2/16に家探しのため4泊5日で沖縄に訪れ、帰宅後1週間で引っ越すハードスケジュールだ。家探しは、ANAのレンタカー付きツアーを利用し、家族3人で行った。僕たちが望む物件の条件は以下の通りだ。

  1. できれば3LDKの庭付き一戸建て
  2. 海が見える(妻の強い希望)
  3. 緑豊かでのどかな環境
  4. 家賃7万円以下
  5. バス停や保育園へのアクセスがよい

 妻は1年前からネットで沖縄の物件探しを始めていたけど、庭付き一戸建ては総じて高く(家賃10万クラス)、数も少なくなかなか見つからない。理想の一戸建てを見つけるためにアパート暮らしをする人も多いというから、条件1はよほど運がよくないと厳しいようだ。

 2月の沖縄は曇り空が多い(写真は物件探し中に現れた虹)。それでも晴れた日は半袖姿の人も多く、さすがは南国だ。到着した日からさっそく不動産屋を訪ね、チェックしていた物件を次々見てまわる。しかし、思ったより眺めが悪かったり、部屋のイメージが違ったりして、ピンと来ない物件ばかり。あまりに良い物件がないので、既に入居者が決定している絶景のアパートを参考までに見させてもらうことに。ここは妻が1年前から目をつけており、当初は第一希望だったものの、数日前に入居者が決まったという残念な物件だ。すると、海を見下ろす絶景が断トツで素晴らしく、あまりの美しさに妻が超凹んでしまった。見に来るべきではなかったか。仕方ないよ、となぐさめつつ、万が一キャンセルになったら電話をくれと不動産屋に伝えた。その日は、妻は悔しさのあまり物件探しをする気になれず、残波岬を散歩してホテルに戻った。

 翌日から気を取り直してまた物件探し。一戸建ても含め、合計15件ぐらい見てまわっただろうか。その結果、綺麗な海が目の前の古びたアパートを発見。海好きの妻はこのアパートに決めたいようだが、僕は正直気に入らず、生活のイメージがわかない・・・。そして決断の最終日。ここでドンデン返しがあった。妻もまだ迷いがあるようで、朝の移動中にオラクルカードをやってみた。オラクルカードとは、困った時に神の導きを教えてもらうカードで、タロットカードに近いイメージだ。すると、妻が引いたのは「今すぐあなたに奇跡が起こります」というカード。とっさに妻が携帯を見ると、不動産屋から着信履歴が! 掛け直してみると、なんとあの絶景アパートの契約がキャンセルになったというのだ。すぐにその物件を再び見に行き、その場で即決して契約にこぎ着けたのであった。

 いやぁ、すごい家探しだった。どうなることかと思ったけど、こんな経緯で巡りあった今のアパートに感謝。時々とんでもない奇跡を起こす妻らしい出来事であった。(実は引越後にもう一つ奇跡があった。このアパートに住む隣人が、僕の友人の仕事仲間だった。ビックリ!)

 帰宅後、大忙しで引っ越しの荷物整理。友人に挨拶まわりをする時間もほとんど取れず、両親の手を借りてなんとか荷作りをした。今回の引越を依頼する業者は、「引越のサカイ」と合い見積もりを取って、価格も内容も上回った「アリさんマークの引越社」。広島から福岡までトラックで運び、福岡からコンテナで船に移し、1週間後に沖縄の自宅まで運んでもらう行程だ。引越当日は、重たい本の箱を3つも重ねて運ぶアリさんマークの若者に驚愕したものだ。荷積みが終わったあと、僕らはドタバタの中、家族3人でマイカーのセレナに乗り、鹿児島へ向けて出発したのであった。

 参考までに、広島→沖縄への引越費用は以下の通り。実際はこれに加えて、引越時に処分し、引越後に買い足した家具類が10万円程度あるが、2ヶ月前から引越業者に予約したこともあり、思ったより安く済んだ。引越中に照明のガラスが割れるトラブルがあったが、業者が代用品を買ってくれた。ということで、アリさんマークは印象のいい引越会社だった。

項目 金額
物件探し旅費(大人2名4泊5日) 100,000円
引越業者(3tトラック) 250,000円
フェリー代(車+大人2人) 100,000円
高速道路・ガソリン代(広島→鹿児島) 20,000円
合計 470,000円


フェリーから見えてきた沖縄本島最北端の辺戸岬。

住めば都の広島2年間、さよなら

 2年間住んだ広島県廿日市市を離れ、沖縄に移住することにした。沖縄移住は20年来の夢だったので、語れば長くなるし、突然のことではない。その前にここでは、広島での生活を振り返りたい。

 拙宅があったのは、宮島を見下ろす郊外の高台にある一戸建て住宅街。引越当初、僕はこの土地にいい印象を持っていなかった。その理由は過去のブログでも書いたけど、工場地帯が近く、時々悪臭があること、米軍岩国基地の騒音など。子育てに不適ではないかと、不安に思っていた。けれどその後、悪臭の原因は工場ではなく、自宅の下水管にカイヅカイブキの根が入り込んで詰まっていたことが原因と分かり、大家さんが30万円かけて下水管を取り替えてからは、悪臭はほぼなくなった。軍用機の騒音は、時期的なものがあったらしく、引越直後は夜間飛行が多かったが、その後は少なく、子どもが目を覚ますこともほぼなかった。

 そして、子育てに何より良かったのは、よい保育園に巡りあえたことだ。自宅から500mの距離にあった廿日市市立鳴川保育園は、築40年前後の古めかしい建物。園児数は30名弱と小規模で、にしては保育士さんの人数が比較的多く、アットホームで温かく、安心できた。手作りの工作や発表会、きめ細かく大らかな保育に幾度となく感激し、1歳で入園した息子はすぐに保育園が大好きになった。

 僕たち夫婦は当初、子どもは家で育てるが一番で、保育園に預けるのはなるべく遅い方がいい、なるべく短時間の方がいいと思っていたけど、それは間違っていたようだ。核家族で一人っ子、しかも引越直後で近所に知人のいない状況で、保育園はたくさんの友達と出会え、いろんな大人から学びを受けられる、貴重な社交の場になった。

 片付け、手洗い、うがい、トイレなど、家庭では省略しがちなことをしつけてもらい、年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんにとても可愛がってもらい、愛情いっぱいに育った。保育園で覚えたドラえもんの歌は、今でも思い出しては嬉しそうに踊っている。帰り道に何度も寄った鳴川海岸もいい思い出だ。最後の半年間は仕事が忙しかったので、週6日間も朝から日没まで預け、息子1人のために2人の保育士さんが出勤してくれた日も少なくなかった。かけがえのない思い出と手助けをくれた保育園に、本当に感謝している。

 保育園以外にも様々な良い出会いがあった。広島の造園関係者、大学、専門学校、植物園などにお世話になり、親切なお隣さんにも恵まれた。けれども、わずか2年で広島を離れてしまうことになり、タイトな原稿執筆&引越スケジュールであったため、お別れの挨拶が十分できなかったのは、本当に申し訳ない思いでいっぱいだ。

 唯一嫌な出会いがあったとすれば、家の内外にたくさん出没したアルゼンチンアリか。廿日市市で国内初確認され、特定外来種にも指定されるこのアリは、植木鉢や枯れ草の下、石垣、室内の壁の隙間など、あらゆる隙間に巣を作り、家の中の食べ物に大行列をつくって押し寄せ、旺盛な繁殖力で敷地中が増える厄介者。毒はなく、噛みつくことも多くはないが、1年目はこのアリに何度も困惑させられた。2年目は、砂糖、菓子、食べ残しなどはすべて冷蔵庫に入れ、家の中や石垣の隙間をとことんパテで埋め、専用の殺虫剤を定期的に設置し、地域全体の一斉駆除を自治会に呼びかけ実施したことで、大きく改善した。これから広島市廿日市市周辺に住む人は要注意である。

 そして最後に、広島カープサンフレッチェ広島のファンとして奇跡が起きた。僕が広島に住んだ2年間で、サンフレッチェがJリーグ2連覇、カープが16年ぶりのAクラスという大躍進を見せた。スタジアムこそ2度しか訪れなかったが、地元のテレビ中継、新聞で存分に活躍を見ることができたのはラッキーだった。

 住めば都の広島、廿日市。ありがとう。Good-bye!


 
 
 
 

至近距離でクマに遭遇する;広島・島根県境の天狗石山


(クマ出没のシーンを実際の距離で筆者が再現)


 秋分の日の三連休。樹木取材と1歳半になった息子の初登山を兼ねて、妻と母と共に広島・島根県境の天狗石山(標高1191m)に登ることにした。出発が遅れたのと渋滞もあって、標高800mの登山口に着いたのは午後1時過ぎ。登山としてはかなり遅い時間だが、野生動物との遭遇を歓迎する僕にとって悪い時間ではない。そしてこの出発の遅れが、本当に記念すべき出会いのきっかけとなった。

 息子をベビーキャリアに乗せたり、抱っこしたり、歩かせたりしながら、ようやく標高1000m付近に着いたは14時半ごろ。明るい稜線に腰を下ろし、おはぎを食べながら休憩していた時のことだ。ブナ・ミズナラ林内にササが茂る北斜面の下方から、ガサ、ゴソ…と何かの足音がゆっくり近づいてくる。そのリズム、重量感、時間帯からして、9割方人間だろうと思った。僕より登山経験が豊富な母もそう思った。キノコ採り? コースを外れた登山者? 一体誰が出てくるのかと、4人で物音の方向を注視していたら、約7m先のササ藪から、のそっと顔を出したのは、真っ黒で艶やかな毛に覆われた獣。イノシシ⁉ カモシカ⁉ いや、ツキノワグマだ‼

 少し小さい。若い個体だろうか。緊張が走ると同時に興奮する。妻が手にしていたおはぎを狙われないかと不安がよぎるが、写真を撮りたい願望の方が強い。一人だけ立っていた僕は、顔を見合わせた妻に「そのままでいい。ゆっくり」と声を掛け、地面に置いたカメラに手を伸ばそうとする。その瞬間、クマがこちらを視線をやり我々に気づくと、驚いた様子で即座に反転し、一目散に元の茂みに戻っていった。ホッと緊張が解けるが、まだ数十m下の茂みでガサゴソしているので、こちらの存在をアピールするため、大きめの声で会話を始めた。

 いやぁ、これほど至近距離で野生のクマに遭遇したのは初めて。クマ遭遇は3度目だけど、1度目は尾瀬ヶ原で約100mの距離(写真)、2度目は山口県羅漢山で車を運転中だったので、緊張はなかった。今回は明るい日中で、4人でおしゃべりしていたのに、熊の方から近づいてきたのは、若くて経験の少ない個体だったせいか。

 もしこっちに向かってきたら、と考えると、子どもを守ることを第一に考えるべきだったと反省したが、正直、こんなに近くで出会えてラッキーだ。写真は撮れなかったけど、はっきり見えたクマのつぶらな瞳は、優しく、あどけなさを感じた。何かと恐怖の対象として見られがちなクマだが、広島・島根・山口にまたがる西中国山地では、推定900頭前後のツキノワグマが生息するとされる一方で、多い年には200頭を越すクマが“害獣”として殺処分され、絶滅の危機に瀕している。怖いのはむしろ人間の方だ。

 ともあれ、今日は山に来てよかった♪( ´▽`) 母は約20年の登山歴で初めてのクマ遭遇。まだ数回しか山登りをしていない妻は、もちろん初めての遭遇で「死を覚悟した」らしい。息子は人生初の登山でいきなり「森のクマさん」に出会い、きょとんとしていた強運・強心臓の持ち主。将来が楽しみだ。



(急斜面を登る筆者と息子。それを見守る母。妻撮影)

【今日見た注目種】
オオヤマレンゲ、キンキヒョウタンボク、アラゲナツハゼ、アカイタヤ、アサノハカエデ、クロマツ(植林跡?)、チャボガヤ、ツルシキミ実、ハスノハイチゴ、コバノフユイチゴ実、アカモノ、マツムシソウ花(草)、ツキノワグマ(獣)

阿蘇山で躍動する大自然を感じる

 熊本に行く用事があったので、ついでに阿蘇山に行ってきた。阿蘇はこれまで、カルデラ内で樹木観察をしたりドライブで通過したことはあったけど、ロープウェイのついた火口まで登ったのは実は幼少の頃以来。阿蘇パノラマラインや外輪山のミルクロード周辺は、見渡す限りの牧草地帯で、秋吉台の草原なんて比にならないぐい広い。昨年の集中豪雨であちこり崩れていたのが痛々しかったけれど、これも自然の姿でとてもワイルド。

 山頂付近はすごい強風で、ジャンパーやダウンジャケットがないと寒くて凍えてしまうぐらい。そして、ぐつぐつ煮立って噴煙をあげる噴火口が眼下に見えるのは、改めてすごいと思った。世界一活動的な火山といわれる、ハワイ島キラウェアの火口を連想する景色で、展望台の臨場感はそれを上回っている。火口の店員さんや駐車場整備員さんの話によると、昨日までは暑かったのに今日は特別な寒さとか。また、北風だと有毒の火山ガスが流れてくるため、火口一帯は立入禁止になるのだが、一日中立入禁止にならなかった日は5月は今日で2日目とか。どちかといえばラッキーということか。

 山肌をピンク色に彩るミヤマキリシマもちょうど満開を迎えたタイミングだったけど、仙酔峡のほうは大混雑らしいので、阿蘇山ロープウェイ乗り場周辺で観察した。この辺りも結構ミヤマキリシマがあり、花は十分観察できる。花色が濃いもの、薄いものなどかなり変異があるのが印象的で、園芸品が多いキリシマツツジクルメツツジの母種になっているのも納得だ。山頂に近づくほど地をはうような樹形になり、山頂部ではイタドリとスゲぐらいしか生えていなかった。

【今日見た樹木】
ヤマキリシマ花、シモツケナツグミ、ヤマヤナギ、ウメモドキ、サワフタギ、イタドリ(草)




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