街森研究所

街や森で出会った木々や生き物、出来事などを紹介しています

原発タブーの崩壊

 福島原発の事故以来、日本の報道が大きく変わったことがある。「原発タブー」の崩壊だ。
 2年前、私が取材していた上関原発問題を、ある週刊誌の編集部に持ち込んだ時の話。若い担当編集者は「ぜひ記事にしましょう!」と意気込んでくれたが、数日後、「ボツになりました。上司から出版社全体の広告主に悪影響があると言われました」と力なく電話してきた。これが事故前の現実で、全国規模のテレビや新聞、雑誌ほど、原発に批判的な報道はタブーだった。日本最大級の企業である電力会社(と原発関連産業)は、マスコミ最大のスポンサーでもあるからだ。
 一方で国は、原発を推進する活動には莫大な予算をつけ、批判する動きは厳しく監視してきた。「原発は絶対安全」「原発は環境にいい」と、広報や教育にも力を注ぎ、世論さえ操作しようとしてきた。しかし、その原発は爆発し、国は放射能汚染の実態を隠し続け、マスコミも原発を懐疑的に報道せざるを得なくなった。
 「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」とは、歴史学者アクトンの名言だ。残念ながら、現代の先進国家や巨大マスコミも例外ではない。インターネットは多くの真実が得られるメディアだが、全くのウソもある。今後の放射線被害を最小限にするためにも、私たちの情報を選ぶ力が問われている。



事故前の福島第一原発(2009年8月 筆者撮影)

※この文章は2011年7-8月に山口新聞「東流西流」に掲載された連載記事を一部修正したものです。

原発と私

 拙宅は、山口県の上関原子力発電所予定地から13kmの距離にある。窓からは、美しい上関町の島々が見渡せる。福島原発でいえば、強制避難区域の円の中だ。
 私が5歳の時、上関原発計画は浮上した。子どもながら直感的に不安を感じていたが、大学進学で関東に移り住んでからは、原発のニュースは全く耳に入らなくなった。30歳になり、山口県へのUターンを考え始めた08年、ふと思い出した。「上関はどうなった? 原発ができるならUターンしたくない」
 実際に予定地を訪れると、既に準備工事が進んでいた。原発問題の歴史を綴った本(※1※2)を読み、衝撃が走った。大都会の電力を賄うために、地方に深刻な問題が負わされている。この問題を学び、伝えねば。私は一ジャーナリストとしてこの思いを記事に書き、あるアウトドア雑誌の読者投票では1位にも選ばれた。全国の原発を取材して回り、その実態を各地で講演もした。けれども、難解な原発のリスクを広く伝えるのは難しく、様々な利害も絡む原発問題に、私は神経をすり減らした。
 原発取材から身を引いていた3月11日、福島原発事故は起き、リスクは現実となった。3カ月後、私は出張で東京を訪れたのだが、久しぶりに連絡を取った関東の知人には「上関原発が止まってよかったですね」と、ことごとく逆に励まされた。今まで原発問題にほとんど関心のなかった彼らの言葉に、私は驚いた。日本は変わっている。



平生風力発電所より原発計画のある上関町長島方面を眺める。

※この文章は2011年7-8月に山口新聞「東流西流」に掲載された連載記事を一部修正したものです。

エネルギー盛りだくさんの佐田岬半島

 「鬼は〜外」の2月3日と4日、愛媛県佐田岬半島に出かけてきました。今回は、私の地元・山口県から最も近い原子力発電所、伊方(いかた)原発を訪ねるという目的があります。天気がよい時は山口県南東部から肉眼で見える原発で、山口県に計画中の上関(かみのせき)原発問題について勉強するのにももってこいです。さっそく四国電力に見学を申し込むと、「一般見学は四国の人しかお受けしておりません」との答え。「そんなぁ、山口県から見える原発なのに、勉強のための見学もさせてくれないの?」とダダこねたのですが、「部署間で検討しましたがやはりダメです」との最終返答。四電(よんでん)の人はテロ対策とか核防護とか言うけれど、四国の人は見学できて、もっと近くに住んでいる中国地方の人は見学できないという合理的な根拠はありません。ということで、今回もジャーナリストとして「取材」という形で訪ねてきました。

 伊方原発の敷地内から撮影が許可されているのは、敷地南西部に突き出たクレーンのある船着き場と、北東部の高台にある展望所の2カ所のみです。一方で、敷地のすぐ外を通っている県道255号線の複数地点からも伊方原発はよく眺められるので、県道から撮影した方がむしろ全景がよく分かります(上写真)。ドーム型に見えるのが原子炉建屋で、左から1号機(1977年運転開始)、2号機(1982年)、3号機(1994年)です。その右手前には体育館も見えます。ちなみに手前の工事中の建物は、低レベル放射性廃棄物を圧縮して減らす「高圧圧縮減容設備」と、燃やして減らす「雑固体処理建屋」です。三方を山に囲まれ、周囲の集落からは見えない場所にあるので、地元の人は原発の存在を意識せずに生活できる立地と言えます。展望所内の案内板には、対岸に見える山口県の島々の名前が記されており、苦笑してしまいました。四国の人は直接見えないから見学できるけど、山口県の人は直接見えるんだから双眼鏡でも使って眺めて下さいって?

 そんな人口1万2千人の伊方町には、こんな立派な役場(上写真中央)があります。6階建てのビルは、道路向かいの伊方町民会館や町立図書館と連絡通路で繋がってて、その豪華さに驚きです。これも財政豊かな原発立地自治体の特権と言えるでしょう。その5・6階には、「愛媛県オフサイトセンター」が入っています(下写真)。オフサイトセンターとは、1999年に起きた東海村JCO臨界事故を教訓に設置が義務づけられた緊急事態応急対策拠点施設で、万一の原子力災害時には国・自治体・原子力事業者らが一堂に介し、情報を共有化しつつ災害対策の指揮を執ります。普段は年数回の防災訓練にしか使われないため、ガラーンとしているのですが、その中の設備は豪華でスゴイ。大型モニタ、マイク、衛星電話、気象予測システム、自衛隊車両・避難船・ヘリなどの配置検討用マップなど、一見の価値がある施設です。

 この日は、原発からなるべく近い宿に泊まろうと思い、伊方町の川永田という集落にある大瀧荘に宿泊を申し込みました。原発の定期検査の作業員を中心に受け入れている旅館で、建物は合宿所のようなプレハブです。2月下旬に始まる定検に備え、各部屋には「○○電気」「○○建設」などの下請け会社の名札が貼られ、現場の空気が伝わってきます(写真下)。ここのご主人は、元はミカンの専業農家でしたが、原発稼働後に定検作業員の宿舎不足で頼まれて旅館業を始めたそうで、今は伊方町商工会の副会長も務めておられます。そのご主人が2時間半に渡ってお話を聞かせてくれました。原発財源で地元の財政や雇用が潤った一方で、事あるごとに電力会社に振り回され、町の主体性がなくなったことや、いつ原発が停まっても大丈夫なように、自分は今も農業にしっかり力を注いでいることなど、原発と共に暮らす心理が伝わってくるとても興味深い内容でした。世の中、原発「反対派」と「推進派」の2色に分けられるわけではないことを実感した瞬間です。

 翌朝6時半、佐田岬半島のつけ根、四国最大級の八幡浜市魚市場に見学に行ってきました。すごい、すごい、すごい。広い市場の屋根の下に、赤、青、黄、何種類もの魚が並び、イカやナマコ、エビ、サザエも山積み。威勢のいい掛け声が朝焼け空にこだまし、市場の横はカモメたちが飛び交います。こんなにエネルギーに満ちあふれた場所に足を踏み入れたのは久しぶりで、言いようのないワクワク感に包まれました。原発があると漁業に悪影響があるのではないかと心配したけど、これだけ活気があれば大丈夫! そんな気になってきます。ただ、ここでは佐田岬半島の北か南かで魚の評価は大きく異なるそうです。北側の瀬戸内海の魚はマズくて安い。南側の宇和海・太平洋の魚はウマくて高値が付く。八幡浜市魚市場があるのは半島の南側で、伊方原発があるのは北側です。

 今日の見学は風力発電です。なぜだろう、昨日に比べると足取りが軽く、すがすがしい気分。原発見学は制約が多くて、否応なくリスクやダーティーな情報が中心になるのに対し、正真正銘のクリーンエネルギーである風力発電の見学は、自由で明るい雰囲気を感じます。まずは「せと風の丘パーク」で伊方町役場の方の解説を受け、その後、瀬戸ウィンドファーム、三崎ウィンドパークなどを見て回りました。佐田岬半島には現在48基の風車があり、今後1年で約60基に達するという西日本有数の風力発電地帯です。エネルギーの故郷・伊方町を訪れるのなら、原発とともにこの風力発電を見学しない手はありません。ただし、いいイメージばかりの風力発電にも課題はあります。まず、常に風に左右されるため電力の安定供給性が劣ること、そして一部では騒音問題も起きています。下写真の三崎ウィンドパークでは、近隣住民から眠れないと苦情があり、今は4基の風車が夜間停止しているそうです。

 最後におまけ。伊方町民会館内にある「伊方原子力広報センター」では、放射線測定器(ガイガーカウンター)が無料で貸し出されています。この測定器「はかるくん」でどこまで正確な数値を測定できるのかは知りませんが、今回、6年ぶり(!)の貸出者として借りることができました。実際に測定しながら移動すると、場所によって微妙に放射線量が異なることを実感でき、貴重な体験になりました。普段は0.015μSv/h(マイクロシーベルト毎時)前後なのですが、花崗岩(かこうがん)の上に置いた時は0.113μSv/hまで上がって驚きました。なお写真は、四国特有の緑色片岩(りょくしょくへんがん)に置いた時の写真で、この岩でも多少の数値の上昇が見られました。

 ともあれ、原発のエネルギー、風力のエネルギー、魚市場のエネルギー、地元のエネルギー、いろんなエネルギーの未来と課題をいろいろ考えることができた、充実の佐田岬半島旅行でした。

地震地帯;浜岡原発に見る光と陰

 今回は、我が家から最も近い原子力発電所を見学してきた。その距離約130km、静岡県御前崎市浜岡原子力発電所である。浜岡原発では敷地内への一般者の見学は受け付けておらず、ここでもやはり「テロ対策」。とにかく情報を隠すことが大切な世の中のようだ。勉強中のジャーナリストということで取材交渉し、11月25日に現地を訪れた。

 静岡県といえば東海地震震源域としてよく知られた地震地帯。何もそんな所に原発を建てなくても・・・という思いがあったので、率直に尋ねてみた。中部電力の場合、供給エリアである三重県から静岡県西部までほんとどが大地震の想定震源域に含まれることになり、「浜岡と同時期に進めていた三重県・芦浜(あしはま)原発が白紙撤回になったから、結果的にここだけになった」みたいな返答だった。名古屋や四日市がある伊勢湾は震源域から外れているので、そこに建設する計画はないのかと尋ねたが、「地盤の問題もあるので」とはぐらかされた。知多半島あたりは大消費地に近く、理想的な候補地になりそうなのだが、いかがだろうか?

 いずれにせよ、浜岡原発は大地震に遭う恐れが日本一高い原発として注目されている。周辺住民は地震による大事故の危険性を訴え、運転停止を求める裁判を今も続けている。これに対して、中部電力は2005年に耐震補強工事を決定し、全5号機のうち3-5号機の工事を今年完了した。補強工事の効果がはっきり見て取れるのは排気筒である。写真左端の1・2号機共用排気筒のように、浜岡原発の排気筒には支持鉄塔がなかったのだが、3、4、5号機の排気筒には鉄骨の支持鉄塔が設置された。右端の5号機排気筒では上部に支持鉄塔がないのは、他の排気筒よりもともと耐震性が高かったためだそう。また、停止中の1・2号機共用排気筒は、今後取り壊して建て替えられる予定である。これらの支持鉄塔、やけに図太くてなんとも頼もしいのだが、どうせならはじめから建設して欲しかったものだ。これまでの30数年間、東海地震が来なかったのはラッキーだった、とも解釈できる。

 日本における最悪の原発事故といえば、1999年の茨城県東海村JCO臨界事故。放射線被曝で2名が死亡、周辺500mの住民に避難勧告、10kmの住民に屋内退避勧告、換気装置停止呼びかけが出されたが、情報整理が不十分で周辺住民も被曝してしまった。この事故を教訓に全国の原子力施設周辺に設置されたのがオフサイトセンター(原子力防災センター)で、原子力災害時に国・都道府県・市町村が一堂に会し、情報交換や対策検討の拠点となる施設とされている。オフサイトセンターの設置は原子力施設から20km未満の場所とされているが、浜岡原発の場合はわずか2kmの場所に「静岡県原子力防災センター」(写真)がある。全国でも指折りの「原発に近いオフサイトセンター」だ。

 ここでまた素朴な疑問が浮かぶ。深刻な放射能漏れを伴う原発事故が起きた場合、果たしてこの近距離で緊急対策拠点が築けるのだろうか? JCO規模ならまだしも、周辺8kmの妊婦・幼児の避難勧告、16kmの住民の屋内退避が出されたアメリカ・スリーマイル島原発事故、周辺30kmが半永久居住禁止になっている旧ソ連チェルノブイリ原発事故のことを考えると、こんな至近距離でどれだけの職員が身を犠牲にして働いてくれるか心配である。2007年、新潟県柏崎刈羽原発中越沖地震で緊急停止した際には、放射能漏れが確認されなかったことからオフサイトセンターは使われなかった。オフサイトセンターは放射線が漏れ出たとの通報を受けた後に使われることになっており、放射線が漏れ出る恐れがある段階では使われないそうだ。それで、住民の安全と安心は得られるだろうか? 御前崎市原子力防災担当の職員にこの疑問をぶつけてみたが、「県に聞かないと分からない」「今そういうことを検討中」などと、曖昧な返答ばかりで頼もしい言葉は聞けなかった。

 と、ここまで負の側面を紹介したが、もちろんプラスの側面もある。それがこの送水管の行き先にある。浜岡原発では、大量に発生する温排水の一部(15,000t/日)を、隣接する静岡県温水利用研究センター(下写真)に直接送り、マダイやヒラメ、クエ、クルマエビ、ガザミ、アワビなどの養殖に取り組んでいる。中でも高級魚のクエは、2005年に全国で初めて完全養殖に成功し、御前崎市の料理組合に卸して「御前崎クエ」として名産品になりつつある(取り扱い点はこちら。私は浜岡原発すぐそばの「荒磯」に行った)。これこそエネルギー・資源の有効利用であり、原発温排水による海の温暖化も緩和するコジェネレーション御前崎に行くなら、この“原発生まれのクエ”を食べない手はない。こうした温排水利用が成り立つなら全国で見習うべきだし、農業用温室や地域暖房、温水プールなどにも大いに活用できるだろう。なお、ここで使われている温排水は、蒸気の冷却に使われる復水器の海水なので、トラブル等で放射性物質が混入する可能性はほとんどないそうだ。

 温排水の影響は、当然ながら原発周辺の海にも明確に表れる。温水利用研究センターを見学した後、夕闇の中を浜岡原発の放水口がある海岸に行ってみた。車を止めて晩秋の肌寒い海岸を数百m歩くと、「これより当社社有地につき立入禁止 中部電力株式会社」という看板と柵が立ちはだかった(下写真)。頭上には監視カメラが設置され、なぜかスピーカーもある物々しい雰囲気。不思議とすき間だらけのその柵を、釣り人らは平然とくぐり抜けてスタスタ入ってゆく。海岸は誰の所有地でもないはずだ。私も勇気を出して中に入ってみた。

 もわーっと、暖かい空気。これぞ毎秒80tも放出される温排水(海水より7、8度高い)の影響だ。南方系の魚が群がれば、それを求めて放水口の柵のそばに釣り人も群がり、ヘッドライトや夜光ウキの光がホタルのようにちらつく(下写真)。沖合約600mの場所で光っているのは、地下トンネルで繋がっている取水口のランプだ。釣り人に話しかけてみると、ブラジル人が多くて驚いた。その親分肌で、もう15年もここで釣りをしているという日本人のおじさんに話を聞くと、ここは南方系の大型魚であるロウニンアジやギンガメアジなどのヒラアジ類、それにツバメコノシロなどがバンバン釣れ、最高に面白いという。この魚を食べることに不安はないかと尋ねると、「ここの魚が本当に危ないなら、原発なんてやっていけるはずがない」とのことだ。

 海が暖かいと好都合な釣り人やサーファーが多数集まることから、かつては中部電力も観光バスの見物客らにこの海岸を見せ、地域貢献をアピールしていたという。しかし、トラブルで浜岡原発の全ての原子炉が停止した時は、これら南方系の魚が死に絶え、6km離れた御前崎の先端に多数打ち上がったそうだ。また、一時期は中部電力が放水口周辺の海岸をすべて立入禁止にしたことがあり、釣り人らと衝突した時期があったという。結局は地元とのトラブルを恐れた中部電力側が折れ、再び開放されたのだが、あの看板やスピーカーはその当時の“ケンカ”の名残という訳だ。

 良くも悪くも、人も自然も原発に大きく左右されるのが、原発の町の宿命なのだろう。そう感じさせられた充実の浜岡訪問であった。

追記
この訪問から約20日後の2008年12月13日、中部電力浜岡原発1・2号機を廃炉にし新たに6号機の建設を検討していることが報道されました。即ち、1・2号機の共用排気塔は建て替えられることなく取り壊されることになります。なお、11月25日の段階で私が広報部に原子炉の新設の可能性を尋ねた時は、「そんなスペースはない」との回答でした。実際には、浜岡原発の東に隣接する土地が6号機の用地として検討されているようです。

我が家の電源;新潟県・柏崎刈羽原発を訪ねる

 あなたの家の電気は、どこの発電所から送られて来てますか? そんなの考えたことない。知りたいと思ったこともない。知らせようともされていないし、知ることができない仕組みになっている。・・・これが今の日本の、電力業界の実情です。私はこれに大きな疑問を持っています。

 ここ1年余りで、関東地方に住む人は意外な事実を知りました。なんと、関東の電力の一部(およそ2割ぐらいか)は、新潟県柏崎刈羽(かしわざきかりわ)原発から送られていたのです! えっ、そんな遠くから? ・・・と書くと大げさでしょうか。2007年7月に起きた新潟中越沖地震で、柏崎刈羽原発で火災が発生し、7つある原子炉が全て停止したことは記憶に新しいでしょう。1年以上たった今も補修&停止中で、眠っていた東京湾岸の火力発電所を代替用に稼働させたため、東京電力は赤字を計上し、化石燃料の燃焼によるCO2の排出量が増え、電気代も上がることになっています。

「電気代が上がるのは柏崎刈羽原発が停まっているせいです」「一刻も早く運転再開し、電気代を安くしてCO2排出量を減らすために、柏崎刈羽原発の再開を応援して下さい」と言わんばかりに、柏崎刈羽原発の修理風景を紹介した東京電力のテレビCMがたくさん流れるようになりました。幸か不幸か、私たち関東人は、この一連の原発震災とCM広告によって、柏崎刈羽原発の恩恵を知ることになった人も多いと思います。何を隠そう私もその一人ですが、とはいえ、我が家のある神奈川県西部まで新潟県産の電力が来ているとは思えない。まあ北関東の人が恩恵を受けているんだろう、ぐらいに思っていました。

 ところが、とある電力PR施設で送電線図を見て愕然としました。なんと、柏崎刈羽原発から伸びる50万ボルトの超超高圧送電線は、西群馬の開閉所を経て、山梨県東山梨変電所、静岡県新富士変電所、そして我が家のすぐ裏に見える新秦野変電所へと一直線に伸びているではありませんか。柏崎刈羽産電力の主な供給先は、山梨県全域、静岡県東部、神奈川県西部だったのです(こうした情報はあからさまには唱われていません)。それを知って、私はにわかに柏崎刈羽原発に親近感を感じ、新潟の人たちに感謝しました。私はこの原発にもっと関心を持ち、この事故をもっと深刻に受け止めなければいけなかったのです。

 11月4日、その柏崎刈羽原発を見学してきました。マグニチュード6.8の爪痕を大きく残す敷地内では、至る所に足場が組まれ、作業員が補修工事に精を出し、凸凹に波打った道路はピカピカに張り替えられていました。PR施設であるサービスホール玄関の階段は、地震で隆起したために1段増え、原発入口前にかかる国道352号線の陸橋には、今も生々しい亀裂が走っています。正常運転時は約5000人と言われる敷地内の労働者は、停止中の現在は約8000人に膨れ上がり、例によって柏崎市内の宿泊施設は大賑わい。泊まり切れなかった関係者は、約40キロ離れた長岡市のホテルにまで流れ込むと言います。

 “テロ対策”という名の下、敷地内で撮影が許される場所は展望所の1カ所のみで、しかも「あの場所をズームで写してはいけません」とか、妙な注文が入ります。PR施設に展示された敷地模型でさえ「“テロ対策”で撮影禁止です」と制止されますから、いやが上にもココは相当危ない施設なんだなと思わされます。原発だけではありません。先に挙げた送電線系統図さえ、今は“テロ対策”で大っぴらには公表されていません(PR施設内ではある程度の展示はされているのですが)。
 テロリストに送電線を破壊されたらそりゃ大変だと思うけど、送電線なんて町中や山中にドーンと建ってるから隠せる物ではないし、大規模発電所が停止して大打撃を受けるのなら、長距離送電を必要としない小規模分散型の発電方式を広め、電気エネルギーだけに頼りすぎない社会を築いて、リスク分散した方がよいのではないでしょうか。そして何より、“テロ対策”の名の下に、電力の産地が国民に知らされないことに私は問題を感じます。食料や水、木材などの産地を知って、そのありがたみや感謝の気持ち(あるいは疑問)が生まれるように、電気の“産地表示”(トレーサビリティ)や“地産地消”が進めば、私たちはもっと大切に電気を使うようになると思います。たまに電気が品切れにでもなれば、今みたいな無駄遣いは絶対しなくなると思います。

 私が話を聞いた柏崎市刈羽村の市民は、みんな電気を消費地をよく知っていました。柏崎刈羽原発の電気は、新潟県内では使われず、すべて関東地方に流れているということを。そして私が、「関東の人は、新潟中越沖地震が起きてから初めて柏崎刈羽原発の電気が来ていることを知った人が多いと思いますよ」と言うと、みんな驚いていました。いやいや、私だけが無知だったのかも知れない。私より長く関東に住んでいる人たちは、新潟や福島(そして数年後には青森も)の原発から恩恵を受けていることを、よく知っているに違いない。

若狭湾の原発銀座ぶらりレポート

 原発先進県といえば福井県リアス式海岸が入り組む人口希薄な若狭湾一帯には、敦賀原発(2基)、美浜原発(3基)、高浜原発(4基)、大飯原発(4基)、それに新型転換炉ふげん(現在廃炉手続き中)、高速増殖炉もんじゅ(現在改造工事中)を合わせた計15基の原子炉が林立する。日本最大の原発密集地を訪れずして原発のことは語れまい、そんな思いから2日間ほど若狭湾をぶらり旅してきた。

 初日は肌寒い雨。最も西にある高浜原子力発電所高浜町)から訪れたのだが、まず写真の光景に衝撃を受けた。正面に見えるドーム型建物が高浜原発。その対岸では釣り人たちが悠然と釣り糸を垂らし、青く澄んだ海中にはコバルトブルーのソラスズメダイが乱舞している。周囲には漁船、レジャーボート、タンカー、養殖場なども多数見られ、ごくありふれた漁村の風景だ。その中に、至って自然に原子力発電所がたたずんでいる。こっちの人にとっては原発はこんなに身近なものなんだ・・・と、いきなりやられた感じだった。一つ明らかな違和感を感じたのは、海水に手を突っ込んだ時。27度前後はある! 私は熱帯魚飼育やダイビング経験があるので直感するのだが、この海域で沖縄の浅瀬並みの水温はあり得ない。これなら熱帯性の強いソラスズメダイも越冬するに違いない、と思ったら、やはり越冬しているようだ(資料→舞鶴水産実験所)。でも、ダイバーとしては透明度15mは超えるだろう、この暖かい海に潜ってみたいという率直な願望も湧く。

 その高浜原発の入口(通用門?)がこれだが、原発の入口ゲートというのはどこも物々しい雰囲気である。路上からカメラを向ける私に対して、管理室の職員らが一斉に視線を向け、警備員がゆっくり歩み寄ってきて、リモコン操作の防犯カメラは私を追いかける。アメリカの9.11テロ事件以降、日本の原発警備はずいぶん厳重になったそうだが、これではまるでテロリスト扱いだ。まあ、この2日間で5、6カ所も原発めぐりをすれば、この手厚い待遇にも慣れてくるものだ。警備の皆様、ご苦労様です。

 続いて向かったのは大飯原子力発電所おおい町)。ここは福井県内の原発では唯一、一般の道路から原発施設を目にすることがほとんどできない。このトンネルの向こうに入口ゲートがあるのだが、路面には「←原電所関係」と書かれている。そのまま突き進んでトンネルを出た後の駐車場でUターンすることも可能だが、テロリスト扱いされかねないので要注意である。ここを右折すると、大飯原発のPR館「エルパークおおい」があり、3分の1サイズの原子炉模型を見学できる。どこのPR館でも原子炉の模型はあるが、ここのは仕組みやスケールが実感できて分かりやすい。なお、若狭湾には4つも原発PR館があり、ちょっと多過ぎである。このうち2個ぐらいは一大消費地である大阪や京都に移設し、都市住民にPRした方がよいと思う。

 この日の最後は、福井県の機関である福井県原子力環境監視センターを訪れ、放射線の監視状況をお尋ねした。40年以上も前から環境モニタリングを行っている先進機関だが、過去のモニタリングデータの概要がHPに掲載されていないことや、原発がない地域の対照データが乏しいことなどを指摘すると、担当職員の一人は多少逆ギレした口調に変わった。福井県の職員と話しているはずなのに、なぜか電力会社の社員と話しているような気分だった。

 そうこうしているうちに日が暮れてしまった。今晩は美浜原子力発電所のある美浜市丹生(にゅう)地区の旅館に泊まろうと思っていたのだが、手当たり次第10軒ぐらい電話しても、どこも「今日は満室です」。金曜の夜とはいえ、釣り客でそこまで賑わうだろうか? と思っていたら、定食屋のおばちゃん曰く、「原発の下請け業者がいっぱい泊まってんのよ」。なるほどそういうことか。美浜原発3号機は現在定期点検中で、その作業員で地元の旅館や民宿は大繁盛していたようだ。地図を見ると、美浜原発の真向かいにキャンプ場があるようなので、もしかしてテントが張れるかもと思い、ダメもとで訪れてみた。その丹生白浜キャンプ場のロケーションがこれである。美浜原発との距離500m、しかも無料。ある意味日本一の絶景キャンプ場で、私は記念すべき一夜を過ごした。

 すっきり晴れた翌朝、丹生地区の港を訪れてみると、ここにも釣り人がたくさんいる。美浜原発のある入り江では、温排水を利用したマダイやハマチの養殖試験が行われており、丹生の集落も原発と1kmと離れておらず非常に近い。また、昨夜泊まったキャンプ場周辺は海水浴場になっており、暖かい温排水を堪能しながら海水浴を楽しめる。高浜原発もいいが、ここ美浜原発ほど原発を身近に感じられる場所はないだろう。私がもし電力会社の社員なら、全国の原発立地候補の住民に美浜原発を案内したい。地元住民の本当の心境は分からないけど、外面的には原発が何の問題もなく共存しているように写るからだ。

 さらにこの美浜原発の奥4kmの場所に、1995年のナトリウム漏れ事故で一躍有名になった「もんじゅ」がある。プルトニウムを用いた夢の発電方法を研究中の原子力発電所だが、事故以来ずっと停止中で実用化の目処は立たない。このもんじゅの立地は、まさに「地の果て」という表現がぴったりだ。長いトンネルを抜けた先、白木地区の小さな集落のさらに奥に、日本海の荒波と切り立つ崖のわきで狭苦しそうに建っている。原発適地の条件には「広い土地」という項目が挙げられるが、もんじゅの場合は真逆に見える。それに、こんな地の果てに建設されていると、何かよほどヤバイことやってる施設かと思われてしまう気がするが、余計な心配か。

 最後に訪れたのは、1969年に運転開始した国内2番目の商用炉(1番目は1966年茨城・東海原発)、日本原子力発電が運営する敦賀原子力発電所敦賀市)である。ここは、取水口と放水口が湾内の非常に近い位置にある不思議な構造で、両方とも間近で観察できるので見学にはいいかも知れない。放水口のすぐ横(下写真)では、ゴムボートに乗った釣り人が温水に群がる魚たちを狙っていた。PR館の「敦賀原子力館」を見た後、バスに乗って敦賀原発敷地内を20分間ほど見学させてもらった。10日前に住所氏名連絡先を添えて申し込み(私の場合は2日前に交渉して申し込み)、金属探知機を通ってから構内に入る仕組みで、見学中はずっとバスの中、撮影も一切禁止である。かつては建物内や中央制御室まで見学できたというが、テロ対策と言われてここまで厳重にされる理由は何だろう? この厳戒体制を見れば、やはり都会にはつくれないなと実感する。ちなみに、関西電力原発(高浜、大飯、美浜)は、関西在住の“原発推進団体”しか見学できないという理不尽なルールがあるので、関東に住む私個人の見学は不可能とされている。

 敦賀原発を見学し終えた後、PR館の綺麗なお姉さんにハイキングマップをもらい、敦賀半島の山に登ってきた。ヤマハギが花をつけ、ナツハゼがまっ赤に紅葉し始める。そんな当たり前の自然があり、原発もある。旅の途中、何人かの住民や釣り人に話を聞いたが、原発を否定する人には出会わなかった。「何ともないよ」というのが彼らの言葉であり、実際に原発銀座を訪れた私もその感覚は理解できなくもない。それでも、美浜で話したおばちゃんは、「まあ、何か(大事故が)あれば私らはおしまいだけどね」と笑顔で付け足した。ある種の覚悟か、あきらめか、そこに若狭の人たちのしたたかさを感じた。

上関町役場の密室で多数決される重大議案

 民主主義の原則は多数決である。では、少数意見は無視してよいか。もしそうなら、多くの社会問題は簡単に解決するだろう。地域格差情報格差、所得格差、健康格差・・・どれも少数派の意見は切り捨てればいいし、ゴミ処理場、火葬場、刑務所、屠畜場、軍事基地、原子力発電所などの迷惑施設はへき地に押しつければいい訳で、都会人や政治家にとってこれほど楽なことはない。だからこそ、真の民主主義には理性的で人間的な対話が求められるのである。

 山口県の上関(かみのせき)原発計画で、事業者の中国電力が申請した予定地の埋め立て許可請願に対し、地元・上関町の判断が下される定例議会(13時半開始)が開かれた。柏原町長が提出した埋め立てに同意する意見書に対し、賛成議員8、反対議員4で可決される“予定”の議会である。

 当日は、20席の傍聴券を求めて、11時過ぎから上関町役場前に行列ができた。その数251人。埋め立て予定地対岸の祝島(いわいしま)の反対派住民をはじめ、上関町内の推進派住民、町外から駆けつけた住民に加え、中国電力の関係者もいただろう。抽選の結果、推進派8、反対派12で傍聴席は埋まったようだ。抽選に外れた住民ら100人余り(ほぼ全てが反対派住民)は、役場内の廊下で議会を聞くことを求めたが、ふだんは出入り自由な廊下がこの日は封鎖されていた。「建物が老朽化しており、大勢の人が(会議室のある)2階に上がると危険だから」だそうだ。

 住民らは議会を聞けない不満をぶつけ、強引に階段に近づこうとするが、Yシャツ姿で無言の職員らが壁になって立ちはだかる。・・・少し前にどこかで見た光景だ。そう、9月10日の山口県庁での出来事にそっくり。これが役人の大事な仕事の一つなのかと、ちょっと呆れてしまった。気をつけて見ると、あたりには無線機をつけた私服警官らが目を光らせ、少し離れた場所には機動隊?らしき警官約10人を載せたワゴン車も待機していたようだ。

 結局、住民らはなす術なく、役場前の路上で会議室の窓からわずかにもれてくる声に聞き耳を立てるしかなかった。約3時間にも及ぶ長い議会の間、時折議員の弁論が聞こえたり、傍聴者の罵声が響いてくる一方で、路上では横断幕が広げられ、「埋め立ての許可するな!」「議会の内容を教えろ!」といった大声が響いた。そして、日が傾いて涼しくなった頃、わずかに漏れてきた議長の声で、埋め立て同意の議案が採決されたことが分かった。思いがけないほどあっけなかった。

 議会終了後に出てきた議員や傍聴者の話によると、質問をするのは反対派議員ばかりで、それに対して推進派議員はみな黙り込み、ほとんど回答がなくて討論にならなかったという。それでも、議長が最後に議決を取る時には、黙っていた推進派議員らが一斉に起立し、賛成多数で採決されたという結末だ。なお、先日の山口県庁での対応と異なる点は、議会終了の日没まで座り込んだ住民に対し、短時間とはいえ上関町長が(反対派議員に促されて)挨拶に現れたことだろう。

 全国で9つしかない、情報公開条例がない自治体・上関町。その閉ざされた小さな会議室で、総事業費8000億円といわれる国策の上関原発建設に向けた第一歩が踏み出された。この重大議案は、たった12人の議員の多数決によって決められる。金で動く人間、自治体は、理性的な対話ができないから、多数決という仕組みが有り難いだろう。もし、金で動いている訳ではなく、社会のために原発が必要という論理なら、12人というちんけな多数決ではなく、山口県全体で住民投票を行い、公正な多数決を取ればいい。現時点では、山口県内で使われている原発の電力はほぼゼロであり、結果次第でいかようにもエネルギー政策の転換は可能である。