街森研究所

街や森で出会った木々や生き物、出来事などを紹介しています

見せることに意義;クジラ解体

 少し前にこのブログで屠殺場のことに触れた。でも自分は、屠殺場を訪れた経験がなかった。そんなとき、千葉県南房総市和田町でクジラの解体を見学できることを聞いたので、さっそく知人と一緒に行ってみた。和田町は日本に6カ所ある捕鯨基地のひとつで、年間26頭のツチクジラ(槌鯨)を解体し、ピークは初夏からお盆の頃までという。通常、ツチクジラの捕獲があった日の翌早朝に解体が行われるので、捕鯨会社のホームページを毎日チェックし、解体決定を知ると深夜のうちに出発しないといけない(拙宅からは車で3時間半)。今回はたまたま1度に2頭の捕獲があり、午前8時頃から行われた2頭目の解体を見に行くことができた。

 朝7時、和田町の港に到着した。すると、これから解体されるツチクジラが港内の海中に無造作につなぎとめてあった。突然目の前に現れたその巨体、9m。自分が今まで見た死体、いや生体も含めて、最大の生物だ。長く突き出た口と、ゴムみたいな皮膚を見れば、多くの人は水族館でおなじみのイルカを思い浮かべるだろう(イルカとクジラの違いは大きさだけなので当然)。水族館のアイドルが、ここでは食物へと変わる。

 解体場に引き揚げられ、計測が終わると、解体が始まる。長い柄のついた大きな包丁で皮膚にスイスイ切れ目を入れ、その端にワイヤーをつけて、機械で引っ張る。すると、厚さ10cmの皮膚は「バリバリッ」とすごい音を立て、一気にはがれる。現れた内蔵を取り出そうとすると、海水と血液がまじった液体がジョボジョボと大量に流れ出る。太い首を切断し、あらゆる肉をそぎ落とす。すべてが壮絶な光景だ。当初50人位いた見物客は、解体半ばで半数ほどに減った。もう見飽きたのか、目を伏せたくなったのかは分からない。僕の隣にいた60代位の地元女性は、「解体を見たのは初めてだけど、もうこれを見たら食べられない。見るんじゃなかった」と言って、物陰に身を隠した。夏休み中の小学生は好奇心旺盛にはしゃぐ子も多く、内蔵を見て「卵焼きみたい」、血液を見て「トマトジュースみたい」と、あっけらかんだ。僕自身は、日頃から魚をさばいていることもあり、正直言うと「巨大な魚」に見えた。けれども、生命体としての巨大さは圧巻で、気づくと顔をしかめながら眺めている自分がいた。解体場内にはクジラ特有の臭気が漂っており、今日ほど風が強くなければ、ちょっと気持ち悪くなったかも知れない。

 全体を通して感じたことは、解体職人さんたちの「見てくれ」というメッセージだ。彼らは、口頭ではクジラのことは何も説明しない。見学のルールを書いた貼り紙もない。彼らにとって、自由気ままにウロウロする見物客は作業の邪魔者でしかない。けれども、明らかに見物客に見えやすい位置で解体をし、厚かましい見物客に対しても声を荒らげたりはしなかった。捕鯨といえば、世界各地から批判の声が挙がっているそうだが、それに対して静かにプライドを誇示しているようにも感じた。聞いた話によると、解体を公開するようになってから、捕鯨に対するバッシングは減ったという。反捕鯨を訴える多くは欧米人だろう。今日もビデオカメラを持った欧米人が来ていたが、彼らは自分たちが毎日大量に食べている牛や豚の解体・屠殺も撮影しているのだろうか。もっとも、今日見学したのは解体だけだから、暴れるクジラをモリで捕獲するシーンまでを見学すれば、また印象は変わるのかもしれない。

 解体後には、その場で直売される新鮮なクジラ肉を購入し、さっそく夜に刺身にして食べた。大きな命をいただきます。