街森研究所

街や森で出会った木々や生き物、出来事などを紹介しています

命の誕生に立ち会って


 2012年3月3日18時42分、我が家に第一子となる男の子が誕生した。妻の妊娠から毎月の定期検診、そして出産まで、僕はそのほとんどに立ち会い、感動した。
 もともと、出産は恐くて男の入る世界ではないと思っていた。その考えが変わり、絶対に立ち会いたいと思うようになったのは、超音波検査で胎児の姿を見たり、つわりや心身の変化に向き合う妻の苦労を感じたり、お腹に耳を当てて鼓動を聞いたりしたことの積み重ねと思う。

 はじめ妊娠した時、妻は原因不明の身体中の痛みや蕁麻疹に襲われた。 それは、まるで体内の毒を吐き出しているようにも見え、僕は直感で「もしかして妊娠?」と思っていたら、やっぱり妊娠検査薬で陽性だった。結婚より先だったが、僕は運命が舞い降りたと思った。

 妊娠直後は3mmぐらいだった小さな粒が、やがて魚のような形になり、小刻みに動く心臓を見た時はどれほど感激したことか。これは超音波検査などの医療技術の進化の賜物だろう。一方、昔ながらの戌(いぬ)の日参りや安産祈願が、今も当たり前に行われていることを僕は知らず、いろんなベビー用品を買って準備するのも当然初体験で、新しい世界を知る気分だった。
 妊娠7ケ月の時には、妻の強い希望でハワイ新婚旅行を決行。出発前は腰痛があり、空港で車イスを借りたりもしたが、ハワイ到着後は不思議と改善し、トラブルなく楽しむことができた。子どもができたら母親は自由がなくなる、という切実な思いも学んだ。そしていよいよ、予定日の3月5日が近づいてきた。

 出産3日前。妻に、弱い陣痛のような痛みが数十秒おきに来始めたが、病院に電話すると前駆陣痛と呼ばれる前ぶれと言われた。その痛みは少しずつ増し、妻は丸2日間ほとんど眠れない状態が続いた。そして出産前日の夕方、おしるしと呼ばれる赤い排出物が出て、入院となった。今晩か明日中に出産と告げられ、気持ちが高まる。妻の睡眠時間が極めて短いことを不安に思い、僕が病院の先生に話したら、出産の時は大丈夫、と言われた。これが女の火事場のくそ力なのか。

 心に傷があって、人一倍、不安や痛みを敏感に感じやすい妻は、和痛分娩と呼ばれる、麻酔で陣痛の痛みを和らげる出産法を希望していた。3月3日の朝9時、まだ前駆陣痛の状態で、まずは陣痛促進剤を点滴。陣痛が本格化してくると、次は背中から脊髄に麻酔用の管を注射で入れる。これも痛そうだが、妻に言わせれば陣痛の痛みでさほど気にならなかったらしい。麻酔でかなり痛みが和らぐのかと思いきや、そうでもないみたい。陣痛はどんどん大きくなり、妻もうめき声をあげる。2時間おきの麻酔が近づくと、汗びっしょりの妻は「先生〜麻酔〜!」と悲痛な声をあげた。分娩台で少しだけ昼ごはんを食べた後、助産師さんの指導でいよいよ「いきむ」作業が始まった。陣痛に合わせて息を止めて、思いっきりいきむ、間髪入れずそれをもう一回。聞いたことない妻の力強い声がこだまする。

 そして分娩室に入って約9時間。ついに赤ちゃんの頭が出始めた。その状態を僕も見せてもらったのだが、開きかけた出口から、黒い髪の毛が少し見えている。驚きである。今まで映像でしか見てなかった赤ちゃんを、初めて実物として見た瞬間だった。しかし、ここで膠着状態が続き、妻は会陰切開(出口をハサミで切って広げる)と吸引(赤ちゃんの頭に吸盤をつけて引っ張る)を行うことに。初立ち会いの僕にはとても直視できる作業ではなかったが、赤黒くなった赤ちゃんの顔が出たら吸盤をはずし、妻(と赤ちゃん)が自分の力で出産、にゅるっと胴体が一気に出てきて、口の中をスポイドで吸うと、元気な産声をあげた。3,340gの元気な赤ちゃんの誕生だ!

 この一連の過程、文章で書くと簡単だが、実際に立ち会った僕には、どれも初めて見る衝撃シーンだ。最後に出てくる瞬間は、自然に涙があふれ出て止まらなかった。泣くとは聞いていたが、こんなに泣くとは。後で録画したビデオを見ると、最後は妻の声以上に僕の鼻息が荒くて、こんなに興奮していたのかと恥ずかしくなった。
 赤ちゃんはママの胸に抱っこされると、泣き止んで穏やかな顔になった。ママの温もりが分かるのだろう。でもその顔は、小さなサルのようで、僕にはまだ「自分の子」という実感はわかなかった。



出産3日後の赤ちゃん