街森研究所

街や森で出会った木々や生き物、出来事などを紹介しています

住めば都の広島2年間、さよなら

 2年間住んだ広島県廿日市市を離れ、沖縄に移住することにした。沖縄移住は20年来の夢だったので、語れば長くなるし、突然のことではない。その前にここでは、広島での生活を振り返りたい。

 拙宅があったのは、宮島を見下ろす郊外の高台にある一戸建て住宅街。引越当初、僕はこの土地にいい印象を持っていなかった。その理由は過去のブログでも書いたけど、工場地帯が近く、時々悪臭があること、米軍岩国基地の騒音など。子育てに不適ではないかと、不安に思っていた。けれどその後、悪臭の原因は工場ではなく、自宅の下水管にカイヅカイブキの根が入り込んで詰まっていたことが原因と分かり、大家さんが30万円かけて下水管を取り替えてからは、悪臭はほぼなくなった。軍用機の騒音は、時期的なものがあったらしく、引越直後は夜間飛行が多かったが、その後は少なく、子どもが目を覚ますこともほぼなかった。

 そして、子育てに何より良かったのは、よい保育園に巡りあえたことだ。自宅から500mの距離にあった廿日市市立鳴川保育園は、築40年前後の古めかしい建物。園児数は30名弱と小規模で、にしては保育士さんの人数が比較的多く、アットホームで温かく、安心できた。手作りの工作や発表会、きめ細かく大らかな保育に幾度となく感激し、1歳で入園した息子はすぐに保育園が大好きになった。

 僕たち夫婦は当初、子どもは家で育てるが一番で、保育園に預けるのはなるべく遅い方がいい、なるべく短時間の方がいいと思っていたけど、それは間違っていたようだ。核家族で一人っ子、しかも引越直後で近所に知人のいない状況で、保育園はたくさんの友達と出会え、いろんな大人から学びを受けられる、貴重な社交の場になった。

 片付け、手洗い、うがい、トイレなど、家庭では省略しがちなことをしつけてもらい、年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんにとても可愛がってもらい、愛情いっぱいに育った。保育園で覚えたドラえもんの歌は、今でも思い出しては嬉しそうに踊っている。帰り道に何度も寄った鳴川海岸もいい思い出だ。最後の半年間は仕事が忙しかったので、週6日間も朝から日没まで預け、息子1人のために2人の保育士さんが出勤してくれた日も少なくなかった。かけがえのない思い出と手助けをくれた保育園に、本当に感謝している。

 保育園以外にも様々な良い出会いがあった。広島の造園関係者、大学、専門学校、植物園などにお世話になり、親切なお隣さんにも恵まれた。けれども、わずか2年で広島を離れてしまうことになり、タイトな原稿執筆&引越スケジュールであったため、お別れの挨拶が十分できなかったのは、本当に申し訳ない思いでいっぱいだ。

 唯一嫌な出会いがあったとすれば、家の内外にたくさん出没したアルゼンチンアリか。廿日市市で国内初確認され、特定外来種にも指定されるこのアリは、植木鉢や枯れ草の下、石垣、室内の壁の隙間など、あらゆる隙間に巣を作り、家の中の食べ物に大行列をつくって押し寄せ、旺盛な繁殖力で敷地中が増える厄介者。毒はなく、噛みつくことも多くはないが、1年目はこのアリに何度も困惑させられた。2年目は、砂糖、菓子、食べ残しなどはすべて冷蔵庫に入れ、家の中や石垣の隙間をとことんパテで埋め、専用の殺虫剤を定期的に設置し、地域全体の一斉駆除を自治会に呼びかけ実施したことで、大きく改善した。これから広島市廿日市市周辺に住む人は要注意である。

 そして最後に、広島カープサンフレッチェ広島のファンとして奇跡が起きた。僕が広島に住んだ2年間で、サンフレッチェがJリーグ2連覇、カープが16年ぶりのAクラスという大躍進を見せた。スタジアムこそ2度しか訪れなかったが、地元のテレビ中継、新聞で存分に活躍を見ることができたのはラッキーだった。

 住めば都の広島、廿日市。ありがとう。Good-bye!