街森研究所

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映画「標的の村」から見る沖縄県民と米軍基地問題

 映画『標的の村』の無料上映会に行ってきた。沖縄本島北部・東村の高江に建設中の米軍基地ヘリパッドや、戦闘機オスプレイの配備に反対する住民たちを記録したドキュメンタリー映画だ。

 痛い。胸が痛い。懸命に座り込んで反対するも、日本の警察によって強制排除されるシーンに、涙ぐむこと2回。会場にすすり泣く声が響いた。子どもも巻き込まれているから、なおさら痛い。

 僕は山口県上関原発計画の反対運動に関わっていたので、高江の状況はある程度知っていたし、現場の雰囲気はまさに上関と同じだった。知らなかったのは、宜野湾市(本島中部)の街中にある米軍普天間基地オスプレイが配備される時に、住民がマイカーを使って普天間基地の全ゲートを封鎖したことと、こうした活動に、今回の県知事選に立候補中の翁長雄志(おなが たけし・当時は那覇市長)氏が応援に駆けつけていたことだ。

 翁長氏が知事になれば、高江のヘリパッドや、普天間基地の名護市(本島北部)辺野古沖への移設計画は、一旦止まる可能性が高いと思われるが、その翁長氏が前回の知事選で応援し、普天間基地の県外移設を公約に当選した現職の仲井眞弘多(なかいま ひろかず)知事は、あっさりと公約を覆し、普天間基地の県内(辺野古)移設を承認してしまった。加えて、日本国の代表は「誰が知事になろうとも辺野古の埋立工事は進める」などと言っている。

 今年3月に沖縄移住したばかりの僕は、平和祈念資料館などに行って初めて沖縄の歴史を知った。70年前の沖縄戦は、日本において一般市民を戦闘に巻き込んだ唯一の戦争といわれる。沖縄県民は本土の犠牲となり、無謀にも米軍に立ち向かい、大勢が自決した。今でも当時の不発弾処理が毎週のように行われ、島中あちこちに戦跡が残っているのがその証である。

 当時の痛みが今も受け継がれているなら、たとえオスプレイが安全で、米兵が何も問題を起こさなかったとしても、戦争のための兵器や殺人のための軍隊を沖縄に置くことは、とうてい受け入れられないはずだろう。それとも、沖縄人の楽観的な気質や、見返りによる経済振興が、基地をも受け入れ続けるのだろうか。


高江のヘリパッドに着陸するオスプレイ(2014年3月筆者撮影)