街森研究所

街や森で出会った木々や生き物、出来事などを紹介しています

木を見て自然を読む

 クヌギシラカシ、モチノキ……。15年前、関東の千葉大学に在学中の私が、雑木林でまず始めに覚えた木々だ。図鑑やノートを片手に、葉っぱとにらめっこしながら木を調べ、ようやく名前がわかると感激したものだ。
 主要な木は覚えたつもりで、山口県田布施町の実家に帰省したある日、裏山を歩いて驚いた。クヌギと思った木はアベマキで、シラカシはアラカシに、モチノキはクロガネモチに置き換わり、クロキやシャシャンボなど、関東では見たこともない暖地性の木が次々現れる。関東と山口では、木の種類が大きく異なるのに気がついた瞬間だった。
 同様に、北日本に行けば寒さや雪に適応した木が増え、九州に渡れば暖地性の木が倍増する。山登りをしても、沢沿いはオニグルミなど湿り気を好む木が多いが、尾根に近づくと、あるラインでリョウブやネジキといった乾燥地を好む木に入れ替わる。沢と尾根の境が明瞭にわかるのだ。
 クヌギの樹液にはカブトムシが来るように、オニグルミがあればリスがいるし、クロガネモチの実には冬鳥が集まる。木は自然の土台なので、木がわかれば、その土地の生態系や気候、歴史まで推測できる。それを楽しみに、日本各地の知らない土地に木を見に行くのが私のスタイルだ。木を見分けることは、自然を読むことである。




西日本では普通種だが、関東ではほとんど見る機会のないアベマキ
※この文章は2011年7-8月に山口新聞「東流西流」に掲載された連載記事を一部修正したものです。

バラ色の印税生活?

「印税で遊んで暮らせるんでしょ?」
 年に1冊のペースで樹木図鑑を出版していると、そう羨ましがる人もいるが、現実は甘くない。売上100万部クラスの有名人と、自分のようなマニアックな本ばかり作っているのは訳が違う。
 印税はよくて10%だから、定価1,000円の本なら著者の収入は100円。図鑑のような専門書では、2〜3万部売れたら大成功といわれるが、印税収入だけでは厳しいのはおわかりだろう。取材費は自腹だし、ボーナスももちろんなし。誰もが羨むような「バラ色の印税生活」は、よほどの人気作家でないと叶わない夢だ。
 とはいえ、好きなことを職業にできるのは幸せ。旅行に出かけても、車窓から見える木を目で追い、温泉宿に行けば周辺の森を散策し、遊園地に行けば植えられた木をチェックするのが楽しい。それがすべて樹木図鑑づくりに結びつくので、仕事とプライベートの境はないし、旅費=必要経費だ。
 もう一つ、印税収入の利点を挙げるなら、老後の年金問題に危機感が薄いことか。一度本を出せば、絶版にならない限り印税が入り続けるので、著書が増えるほど未来の収入が安定する。お金のために本を書く訳ではないが、もしもバラ色の印税生活が可能なら、南の島と、爽快な深山の家を行き来するライフスタイルにしよう。



※この文章は2011年7-8月に山口新聞「東流西流」に掲載された連載記事を一部修正したものです。

葉っぱ図鑑をつくる

 大きくなったら何になりたい? と尋ねられても、答えに困った。子どもの頃から木が好きだったわけじゃない。好きだったのはむしろ魚や虫で、自宅の学習図鑑セットは、魚図鑑と昆虫図鑑はボロボロ、植物図鑑はピカピカだった。
 高校で進路を決める時、「自然」と「デザイン」の両方を大学で学びたいと思った。ところが、魚や虫に関わる学部を探しても、養殖や生態研究などデザイン性のない内容ばかり。そんな時、「造園設計」を見つけた。樹木を扱い、公園や庭、都市景観をデザインする分野だ。
 千葉大学園芸学部緑地・環境学科に入学し、造園設計を専攻すると、住宅庭園を設計する実習があった。まずは植える木を選ぶのだが、木の名前なんてまったくわからない。市販の図鑑を開いても、載っているのは花や実ばかりで、目の前にある葉っぱだけの木は調べようがなかった。なぜこうも使えない図鑑ばかりなのか? そんな不満から、私の葉っぱ調べはスタートした。
 とことん疑問を追究する性格がピッタリだったようだ。毎日ポケットに葉っぱを集めては名前を調べ、気づいたら造園設計より樹木調べに夢中になっていた。8年後、初めての著書「葉で見わける樹木」(小学館)を出版。当時は珍しかった葉っぱの図鑑は記録的なベストセラーとなり、子どもの頃には思いもしなかった道を進み始めた。


※この文章は2011年7-8月に山口新聞「東流西流」に掲載された連載記事を一部修正したものです。

フリーライター

 ときどきフリーターと間違えられるのだが、私の職業はフリーライター。専門は樹木で、これまで10冊の樹木図鑑を出版し、アウトドア雑誌や専門誌で記事を書いてきた。最近は「樹木図鑑作家」という偉そうな肩書きも使っているが、ライターにしろ作家にしろ、定義も資格もないから名乗るのは自由だ。
 大学卒業後、私は本当のフリーターを1年やって、東京の中小出版社に入社した。1年で一通りの仕事を覚え、2年目に会社を辞めてまたフリーになると、今度はフリーライターという肩書きを名乗れるから不思議だ。コネはなかったが、大手出版社に売り込み、苦労しつつ実績を重ねた。
 日本の出版社は、大半が東京にある。だから、作家や写真家、編集者も、多くが東京周辺に住んでいる。情報を発信するのも受け取るのも、東京が業界標準というわけだ。
 こうした一極集中に一石を投じたい思いもあり、32歳で故郷の山口県田布施町にUターン。不安はあったが、インターネットが地方からの情報発信を可能にした。私のホームページを見て仕事の依頼を受け、打合せや原稿のやりとりはメール、というスタイルは今や当たり前。それでも、数か月に一度東京に出向き、直接顔を合わせることや、都会の空気に触れる時間は欠かせない。


※この文章は2011年7-8月に山口新聞「東流西流」に掲載された連載記事を一部修正したものです。

 今年7月5日〜8月30日にかけて、地方紙・山口新聞のエッセイ欄「東流西流」で、500字余りの原稿を9回連載をする機会をいただきました。今まで樹木に関する様々な原稿を書いてきましたが、考えてみれば、エッセイすなわち随筆という自由な文章を、公の出版物で書くのは初めてでした。自己紹介的な内容から始まり、森林、環境、原発問題まで踏み込んで書かせていただき、よい経験になりました。せっかくなので、今日から9日間、その連載記事をこのブログで紹介したいと思います。

日本最西端の2000m峰・白山の植生を見る

 今年はまだ高山に登っていなかったので、前から興味のあった石川・岐阜県境の白山(はくさん・標高2702m)に登ることにした。白山といえば、日本最西端の2000m峰で、花が豊かな百名山として知られ、多くの高山植物の西限地帯になっている。日本アルプスから離れたやや孤立した高山で、西日本寄りの日本海側に位置するので、どんな植生なのか見てみたかったのだ。

 前日は山口県を車で朝4時に出発し、福井県勝山市東山いこいの森にテント泊、翌朝7時に白山へと向かった。1日目のコースは、8割の登山者が使うといわれる別当出合の登山口をスタートし、観光新道を経て、750人収容の室堂の山小屋(上写真・標高2450m)に宿泊。2日目は最高峰の御前峰(ごぜんがみね)でご来光を仰ぎ、山頂周辺の「お池めぐり」をした後に、トンビ岩コースを下り、南竜ヶ馬場(みなみりゅうがばんば)、砂防新道を経て別当出合に下山する周回ルートだ。南斜面が中心で、それなりに地形や植生の変化があるよいコースだ。

 名山と呼ばれるだけあって、樹木も予想したより豊富で、亜高山帯の低木林には白山の名を冠したハクサンシャクナゲをはじめ、北日本のイメージが強いタカネナナカマド、オガラバナ、コマガタケスグリ、ミヤマアオダモなどが見られ、2000m以上のお花畑では、イワウメ、イワヒゲ、コメバツガザクラ、ホンドミヤマネズなども見られる。逆に分布してない高山植物(木本)は、ウラシマツツジ、キバナシャクナゲ、マルバウスゴなど。大半の樹木がちょうど果実が熟しており、ウラジロナナカマドやナナカマド、スノキ、ウスノキ、ミネカエデ、タカネザクラなどは、早くも紅葉し始めている個体も多かった(上写真)。山頂西斜面の千蛇ヶ池(せんじゃがいけ)に残る万年雪も見物だ。

 針葉樹は、山頂部にハイマツ林(冒頭写真)が広く分布するものの、それより低標高では低木状のオオシラビソ疎林があるくらいで、シラビソやトウヒは見られず、コメツガもごく少ない。標高約1600mより下にはブナ林(上写真)が広がり、河原には雪のような綿毛を飛ばしているドロノキや、オオバヤナギの林があるのも特筆だ。

 それにしても、今回の登山は天気ものどかな薄晴れでちょうどよく、久しぶりの高山風景は美しかった。ご来光は午前5:32。飛騨の高山盆地に広がった雲海を眼下に、北アルプスの焼岳方向から日が昇り、これまででも最高のご来光だった(上写真)。標高2700mの山頂には30〜40人の人だかりがあり、太陽が姿を現した瞬間は歓声があがる。ご来光とは、なぜこうも涙ぐむような感動があるのか不思議だ。理屈は関係なく、大自然の絶景に触れることで、私の心は癒される。

【上記以外の注目樹木】
アオノツガザクラ(実)、ガンコウラン(実)、チングルマ(実)、シラタマノキ(実)、コケモモ(実)、アカモノ(実)、クロウスゴ(実)、クロマメノキ(実)、ツガザクラ(花残)、ミヤマハンノキ、オオヒョウタンボク(実)、クロツリバナ(実)、ゴヨウイチゴ(実)、ベニバナイチゴ(実)、ダケカンバ(アカカンバ風)、ミヤマヤナギ、ムラサキヤシオ、シモツケ、ハリブキ(実)、キャラボク、クロベ、スノキ(大葉というほどではない)、アカミノイヌツゲ、ミヤマアオダモ、ミヤマシグレ(実)、カラスシキミ、ドクウツギ、ミヤマカワラハンノキ、ヤマモミジ(オオモミジに近い個体もある)、クロサンショウウオ(動物)、ホシガラス(鳥)、イワヒバリ(鳥)、ウソ(鳥)

紅葉ハンドブック

紅葉ハンドブック

灯籠流しで出会った青い光

 山口県光市の拙宅前に広がる入り江、御手洗湾(みたらいわん)に面した普賢寺では、毎年この季節にご先祖様の魂を送る灯籠(とうろう)流しが行われている。この場所に住んで2年目、灯籠流しを見るのも2回目だ。昨年は風が強く、灯籠が思うように海原へ広がらなかったが、今年は満遍なく湾内に灯籠が広がり、神秘的な風景が広がった。

 計800個もの灯籠は、自然に分解される素材で作られており、ロウソクに火が灯され、船から海へと流される。湖面のように静かな湾内に、神聖な灯籠の光がゆらゆらと揺れる光景は、見ていて心が洗われる。

 入り江に沿った道路を歩き、堤防の切れ間から海をのぞいたその時、「えっ!!」と驚かされた。波打ち際が異常なまでに青く光っている。夜光虫(発光性のプランクトン)が多い海では、波打ち際が青く光ることは珍しくないが、それにしてもこの光の強さは尋常ではない。初めて見る数の夜光虫だ。

 海水を手ですくうと、手のひらに直径1、2ミリの光の粒がたくさんつき、点滅を繰り返しながら海へ流れ落ちてゆく。粒が大きいものも多かったので、夜行虫よりウミホタルのほうが多いのかもしれない。川で見られるゲンジボタルヘイケボタルの黄緑色とは違い、明らかに青〜水色の光である。

 にしてもすごい数! 海面を手でバシャバシャと波立てると、まるで蛍光塗料をばらまいたかのように強く光る。夜光虫もウミホタルも、刺激を与えると発光性の物質を出すので、波しぶきに反応しているのだ。

 住職さんによると、この時期は毎年たくさんの夜光虫やウミホタルが現れるという。海流がたまりやすい入り江で、ちょうど上げ潮の時間帯だったので、波打ち際に多数集まっていたのかもしれない。海の近くに住んでいる人でも、この美しい光を知らない人は多いだろう。灯籠流しとともに多くの人に見てほしい夏の風物詩だ。

群馬の奇岩・妙義山に登る

 すごい岩山、というイメージがある群馬県南西部の妙義山(みょうぎさん・1104m)に訪れた。赤城山榛名山(はるなさん)とともに、群馬では上毛(じょうもう)三山として知られる山だ。車や電車の窓からもその姿はよく目立つが、ネットで下調べをしても植物の情報は意外に少ない。岩山は木が少ない印象があるが、実際に訪れてみると、中腹あたりまでは立派な森があり、谷筋にはケヤキやハルニレ、オニイタヤなどの大木が多く、林内にはアカシデやヤマトアオダモの他、メグスリノキやミツデカエデ、イロハモミジなどのカエデ類も目立つ。紅葉の名所と言われるのも納得だ。


 林内でも岩の多い場所は、嫌というほどコクサギだらけだ(上写真)。西日本では石灰岩地に生える珍木も、妙義山ではすぐ見飽きてしまう。岩の上にはヒメウツギやヤマブキも生えるが、植生はかなり単調といえるだろう。林内の低木がやけに少ない場所もあるので、シカが多いエリアもあると思われた。


 奇岩が立ち並ぶ急峻な山肌が、なんといっても妙義山の醍醐味で、鎖場も多く、かなりスリルのある岩地にも道がついているので面白い。中でも第一石門、第二石門はアクセスも比較的よく、高所大好き症の人にはオススメである。展望を期待するなら、第四石門までぜひ足を伸ばしたい。上写真は第四石門より第一、二石門方面をのぞんだ風景。いやぁ、中国の山奥に迷い込んだような珍景である。そんな岩尾根には、アカマツ、ネズミサシ、ミズナラ、ツガ、サビバナナカナド、マルバアオダモなどが張り付いている。もちろん尾根全体はツツジ科が多く、アブラツツジ、サラサドウダン、ミツバツツジ、ホツツジ、コメツツジなどが見られる。

 この他、ジゾウカンバやゴヨウマツ、ブコウマメザクラなどもあるらしいが、私が歩いた場所では見つけられなかった。今回は標高900mあたりまでしか登る時間がなかったが、再度訪れる機会があれば、山頂の鎖場にもチャレンジしてみたい。